かたちを作るブログ

- 頭の中を形にするdaronaの日記 -

どきどきカムアウト

2021年12月、初めてリアルな友人にカムアウトをしました。

新鮮な体験だったので、その話を書きます。

 

私が初めてカムアウトした子は高校の同級生で、とても気の合う人です。

ずっと支えられてきたし、このことを知っててほしい人だったので、言おうと決心しました。

 

カムアウトすると決心してから、次会う時に言おうと思っていたのですが、

どうしても言い出せなくて、その日はそのまま帰りました。笑

 

でも、次は絶対に言う!と決めて、当日は友人宅に行きました。

 

〜友人宅〜

 

(心の声)

うわー、ぜったい言いたいけど

やっぱ言いづらいー。

どうしよー。別に言わなくてもいいんだけど。

ってか言う必要ゼロなんだよなあ。

でも言いたいなあ。

 

うわ、言えない、怖い。

とりあえずトイレ行こう。

 

🚪

ガチャ

(トイレの中)

ちょっと一回考えてみよう。

明日死ぬとしたらどうする?

・・・

・・・

・・・

ぜったいに知っておいてほしいな。

○○には。

 

よし言おう!!

 

ガチャ

🚪

 

「言いたいことがあって…」

 

「なになになになに」(正座待機する友人)

 

「私さ、好きになるのが女の人なんだよね」

と言いました。(頭が真っ白だったので言葉が正確じゃないかもしれません。)

 

その友人は、

勘づいているのかな?というような発言を何度かしていたので、

「だと思ってた〜」と的な反応をされると予想していました。

 

しかし、実際の反応は

 

「っっっっえーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!」

でした。

 

予想外の大声リアクションに大笑いしてしまいました。

 

 

カムアウトのあとは、持ち前の賢さと優しさを発揮してくれて、

「多様性はよく学んでるから…

たくさんの人の中で●●(私)がそうであったということだもんね。

…そりゃいるか。」

 

みたいな感じでした。

生物学(たぶん)を学んできた友人のその言葉は、とても嬉しかったです。

驚きながらも、冷静な言葉を投げかけてくれました。

 

気づいたこと

このことで気づいたのが、

 

絶対にわかっていると確信していた友人さえ、はっきり言うまで分からなかったということでした。

 

これにはかなりびっくりして、言葉にして伝えないと分からないこともあるんだなあと改めて気づくことができました。

 

とてもよい体験にしてくれた友人に感謝したいです。

おわり

久しぶりに東京に行って思ったこと

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Photo by moreau tokyo on Unsplash

2019年7月ぶりに東京に行きました。

思ったことを3つ書きます。

 

わたしはずっと東京に憧れていて、大学のころ上京した過去があります。笑

 

今までのわたしは、東京が一番いい場所で、イケてる場所だ!という認識でした。

さまざまな理由から北海道に戻ってきましたが、東京に染まれない自分はおかしかったんだ、今すぐにでも染まりたいと思っていました。

 

しかし、ここ数年で考えが変わっていき、

今は北海道にいる自分も肯定できるようになっています。

 

 

この状態になったわたしで行けば、東京を違う視点で楽しめると予想していましたが、

…できませんでした。

 

まさかの、感情が混乱してよくわからなくなる状態に陥りました。笑

 

やっと自分を肯定できて、自分の芯のようなものができたというのに、

東京に来るとそれが簡単になくなってしまいます。どうしてでしょうか…

 

大学時代も、学校に行くのと生活することだけで精一杯でした。

アルバイトをこなしながらサークルを楽しむ人たちの体力が信じられなかったです。

 

29歳の私になっても大学の頃と変わらず、

東京の熱量や速さに慣れることができなかったです。

 

今回は新宿駅を歩いていると、あまりの情報の多さに倒れそうになってしまいました。頭が真っ白になって怖かったです。

(友人が前を歩いてくれて、助かりました。)

 

やっぱり東京に圧倒されてしまうということを自覚できました。

何回行っても、やっぱり東京の凄まじさにやられてしまいます。

 

 

消費のスピード

東京にいると、消費をすることになんのためらいもなくなっていく感覚があります。

コンビニでもお金もホイっと出しやすいです。

 

なぜそうなるのかというと、人の多さや活気ある雰囲気、そして店員さんの人馴れしている感じに触発されているのかな?思います。

 

(人慣れしてるというのは、家の外と中でのテンションの違いが少ないまま、生活してる人という意味で書いています。)

 

こじつけかも?しれませんが、東京にいるときは、考える隙がないままお金を出してしまう印象を受けます。

 

お金を出しやすいということは、経済にとって、企業にとって、給料をもらう人にとってはいいことです。

 

しかし、こんなに消費スピードが速いと、

環境や生産する人とのバランスが保てているのだろうか…という疑問が浮かびました。

 

人が多いだけで、私が住む街となんら変わらないとも思いましたが、

やっぱり「東京スピード!」みたいなものがあるように感じます。

 

植物の成長や、料理をつくるスピードとはあまりにもかけ離れているな、と感じました。

 

 

東京のひらめきと生み出す力

東京にいると、すぐそこに人を感じ、何かが動いているのを感じます。

常に「動」という雰囲気で、熱量を感じます。

 

そういう雰囲気に身を置いていると、なんだか自分の中の感情に火がついて、

何かを生み出したくなりました。

 

絵とか、文章とか、音楽とか、つくるものなんでもです。

 

そんな立派なものじゃなくても、なにかを作りたい気持ちになりました。

 

そして、その気持ちが周りの人から許されているような雰囲気も感じます。

 

地元の北海道にいるときは、アートなことをする人は珍しい人という雰囲気を感じます。働いてお金をもらっている間に何かを作るのはふつうだとされていますが…。

 

プライベートで作る人はすごい!不思議!といった感じです。

 

東京はものづくりをする人にとってはうってつけの場所なんじゃないかなと思います。

 

自分がぐにょぐにょになっても大丈夫だし、いろいろ試行錯誤しても大丈夫な街。

おかしくなってもよくて、それさえネタにして進んでいけるような街。

 

そんな印象を受けたので、なんだか面白い場所だなあと思いました。

 

そういう気持ちで散歩してみると、それぞれの人が周りを気にせずに楽しんでいるように見えます。金曜の夜だったからかもしれませんが…。

 

人が多いだけで、いろいろな交流が生まれたり、いろいろな感情がうまれると思います。

 

だからこそ、とても面白く、新しいアイデアもうまれやすい街だと思いました。

 

おしまいです。

ご静聴ありがとうございました!

 

おまけ

NHK? 

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NHKの裏だと思います

 

人は必ず死ぬのに

自分も死ぬし、

大切な人もいつか必ず死ぬのに、

どうして平気な顔して毎日生きていられるんだろう

そのことがとても不思議、

いまはとても不思議でたまらない

 

いまは、そのことがとても悲しい

誰かが死ぬのが悲しい

別れが来ると思ったら、

悲しい

でも、それよりも出会えたことが幸せだったと思いたい〜。

 

おわり

やば日記

しんどい時はすべてを文字にしてしまうんです。そうすることで自分の外に出せるんですよね。

日記に書けばいいのになぜここに書くのか、どうして公共の場に書くのか。

 

うーん、分からない。誰かにわかって欲しいからなんでしょうか。

わからない。わかって欲しいのかな。

 

はぁーーー

今日は土星が接近してるらしいから精神不安定になるのもしょうがない。

だって、接近してるんだからうわぁぁぁって何かが動いたりズレたりするはず。

 

「どうして、人は言葉を持ったのだろう?」

ってYUIさんが歌ってる曲を聞いています。

 

この曲が大好きで、いつも自分のそばに居てくれます。

YUIさんは歌詞の中でわたしを励まそうとしていません。でも、ずっと心に残る曲なんです。

 

昔は歌詞の意味がよく分からなくてグッと来てなかったのに、急に分かったりするから歳を取っていくのは面白みがあります。

 

最近分かったのはこれです。

「悲しみってあたし一人だけなら耐えられるのに

優しさって残酷よね心まで乱れるもの」

 

to motherという曲のサビなんですが、わたしは全くこの意味がわからなかったんです。でもいまは分かります。

すごい分かるからうげぇぇってなります。笑

 

 

ーーー

 

 

 

最近ブログを書いてないのは、日記にハマってしまったからなんです。

責任がないし、テーマがずっと変化しても大丈夫だし、面白くなくてもいいから、ダラダラと言葉を書くのが楽しくてずっとやってます。

 

でも、今日はなぜかこっちに書きたくなって書いてしまいました。

 

うーん、今日はなぜ生きているのかとかを考えたくなる日です。

 

なぜ生きているのか?

これを考えることが楽しかったらいいんですけどね。趣味になるので。

真剣に、深刻に考え出したら終わりです。

 

 

生きてる意味?って感じですよね。

あなたが決めたらいいのでは?という感じもします。

誰かに決めて貰えたら楽ですね。

でも自分で決めたほうが面白いですね。

 

何を言ってるんでしょうか。

私の頭の中はいつもこんな感じなので、毎日何かを考えてぐるぐるしています。止まることを知りません。

 

たまには考えないで、感じていたいものです。

ああ!!!

 

悩みがあるのは生きてる証拠ですね。

死んでないから悩んでる。

 

前向きな暗い人ですね。笑

それではおわります。

 

読んでくれて、ありがとうって言っていいんですかね?

本当にありがとうございます。

好かれるも嫌われるも勝手にされ続ける

好かれるも嫌われるも勝手に、四六時中され続ける

 

と、Adoさんのブログを読んで、この言葉が浮かびました。

 

爆発的な人気を得たり有名になると、一般人はどんどんその人を人と思わなくなる。

歴史の教科書に出てくる名前のように距離を置き、どんな風に扱っても大丈夫だと錯覚する。

 

自分の言葉は大勢の中のひとつだから、

あの人は有名で人気だから、

お金もたくさんもらっているだろうから、

とちょっと適当に扱ってもいいことにしてしまう。

そうしてしまう人が必ず出てくる。

 

どうしてなんでしょうか。

 

私は人気になった人の苦悩について考えてしまいます。

あまりにも深く悩んでいるから、どうしてこうなるんだろうと考えます。

 

人は、ささいなことでしか幸せを感じないのかな。

ささいなことが一番大事だと思って生きるのがいいのかな。

 

どうして、人気になると人は苦しむんだろう。

わかりません。

 

苦しむからこそよいアーティストになれるとか、

だからこそいい芸術がうまれるとかいう考え方があります。

 

それも一理あるけど、私はそうは思いません。

なくすことができるなら、その苦しみは取り除いていったほうがいい。

 

わたしも数年前までは苦しむ自分もいいと思っていました。

それが自分のスパイスになっていると。

でも、そうやって自分の中に苦しみを置いてあげる優しさはいらないんです。

なるべく自分の心の中の気持ちを聞いてあげて、苦しいねって言ってあげる。

 

それを続けて、周りの人の助けも借りて生きていると、

苦しみが少なくなっていきました。

今まであった苦しみを手放したら、ほかの悩みが出てきます。

でもそれは新しい風が吹いたってことです。

また違う角度から自分を眺められます。

 

少し話が逸れましたが、

Adoさんの苦しさをわかってあげたい。

誰かにこの苦しさを預けたくないし、申し訳ないと思っていたとしても、一緒にその荷物を持ちたい…と私は思うのでした。

 

おしまい

 

 

 

 

他人と同じような幸せを信じていたのに

ってマサムネさんは『楓』の中で歌っています。

 

他人(ひと)と同じような幸せを信じていたのに

 

 

わたしはこのフレーズで震えました。

 

大学生のころ、10月くらいですかね、、、

 

キャンパスに向かって歩いて、

キンモクセイの香りがして、

初めてくらいにこの曲を聞いて、

 

『人と同じような幸せを信じていたのに』

「いたのに〜」の音階で

ぶわぁぁぁぁって心が震えました。

 

その頃は歌詞の意味を自分に当てはめて聞くことはなかったです。

 

でも今聞いてみると、

わたしにとって

人と同じような幸せを信じていたことって、

異性の人と結婚して子どもを育てることだったのかなって思います。

 

(今でも子育ては全然諦めてないですし、やります。)

 

 

その頃のわたしは、自分が異性愛者だということをほぼ完璧に疑ってませんでした。

 

はて、、、?とたまに思うことはあっても、

気持ちと身体の軸が異性愛者であるということになっていたんです。

 

今では、気持ちと身体の軸が同性愛者であるということになっていると思います。

 

軸ってなんだよと思うかもしれませんが、

歩いてる時の身体の感覚というか、気持ちの感覚がちょうどいいところにあるという感じです。

 

わたしは気づくのに時間がかかりました。

認めるのにも時間がかかって、、、

 

 

でも気づけてよかった。

って心からそう思います!

 

色んな人との出会いの中で、

自分の気持ちに気づいたり、理解してもらえたり、分かち合えたりしてきました。

 

完璧に殻に閉じこもってたときもあります。

閉じこもってたときは本当に相談できなくて、

同性が好きということの相談と、

恋愛をするということの相談の両方ができなくて、

本当につらかったです。

 

今は

存在を否定されても戦おうという気持ちが持てるほど図太くなったし、

弱いことを自覚して助けを求められるようになったので良かったと思います。

 

マサムネさんの歌詞を引用して自分語りをしてみました。

 

とにかく一番思うのは、わたしに心を開いてくれた人たち、率直な気持ちを伝えてくれた人達にありがとうって思います。

 

youtu.be

 

夏目漱石『それから』のすごさ

久しぶりに夏目漱石の小説を読みました。

 

『それから』という小説です。

主人公の代助、わたしじゃんって思ってしまった。

代助ほど頭は頭キレないけど、職業をフラフラして親にお世話になっているところとか、

好きな人への気持ちをごまかすのがうまいところとか、

自分が悪いと思っていながらも、悪いことの中の潔さに酔っているところとか、

すごく共感してしまった。

 

代助は最後に職を求めて東京の街へ出て行くのだけど、

その描写といい、夏目漱石はやっぱりすごいと思った。

 

夏目漱石の文章は、すべてが心の中に思える。

街並みや他人の仕草でさえも主人公の心に映った風景として感じられる。

 

夏目漱石の文章を読むと、言葉で表現できないものはないのかもしれないと思える。

 

そう思わせることができる時点で、この人は天才と呼んでいいんじゃないか、むしろ天才と呼ばせてくれ!と思いました。

 

夏目漱石の読んだあとは、もやっとした灰色の煙に包まれたような気分になる。

 

苦いんだけど、それがなくなって欲しいとは思わないというような。

生き物のもつ悲しい性(さが)といった感じでしょうか。

 

わたしは夏目漱石がどんな人だったのかほぼ何も知らないのだけど、

ちょっと知りたくなってしまった。

 

素晴らしい小説を読み切ることができて、よかったです。

夏目漱石ありがと〜〜

おしまい