かたちを作るブログ

- 頭の中を形にするdaronaの日記 -

こんなのやろうかなって

こんなのやろうかなって

思ってます。

 

ツイキャスで、毎週同じくらいの時間に話す。

その名も「うっかり無意味ラジオ」です。

 

なんでそんなことをするのかというと、

・自己肯定したい

・安心できる場所をつくりたい

 

という二つの気持ちがあるからです。

 

インターネット上で居場所を作れるのか、という疑問はありますが、今の状況だからこそやってみたいなと思ってます。

 

その1 自己肯定したい

自己肯定したい、というのは自分の中にずっとある問題です。

自己肯定感が高められるのは、人からジャッジされない場所だと言います。

わたしが生活している中で、人にジャッジされない場所は少ないと感じています。

 

わたしは家族といるときでさえも、誰かの役に立たなければという気持ちが少しあります。

それは悪いことではないですが、プレッシャーになってしまうこともあるんです。

だから、よりジャッジされない場所をつくろうと思いました。

 

どうやって、ジャッジされない(しない)ようにするかというと、最初から自分のハードルを下げることです。

 

無意味のラジオだと言うことでハードルを下げます。

そうすれば、誰もがあまりジャッジする気にもならないんじゃないか、と推測しております。

 

なので「無意味ラジオ」という名前にしてみました。

 

実際はうまくいくかわからないんですけど、とりあえずやってみようかな〜と企んでます。

 

その2 安心できる場所

なんか、最近ツイッターをやっていても安心して楽しんでいるという気持ちが減ってきました。

 

ニュースとかよく目にしてしまい、悲しくなったり

人の怒りをみてしまって疲れたり

 

つぶやくときも、無駄にいろいろ考えてしまって面白くしようとか、無駄にがんばっちゃう自分がいるんです。

 

ニュースとか、世界のあらゆることにグッと近づいてしまった感じがあって、つぶやくのも慎重になります。

 

だから、もっと素直なれて、安心できる場所が作れたらいいんじゃないかと思いました。

 

空間として安心できる場所は作れるかもしれないけど、インターネット上ではどうなのか。不可能なのか。

 

インターネット上で居場所で作ってみようというチャレンジです。

 

あのウイルスによって、いまは外出するのも人に会うのも安心できないと思います。

 

だからこそ、なるべく安心に近づけるような場所ができないかと考えました。

 

やってみないと分からないので、普通に1回でおわるかもしれないんですけども。

やってみます。

 

こんな感じのルール

・人を攻撃しません

・個人情報をなるべく出さない

・出入り自由

・コメントしなくていいけど、してくれたら嬉しいかも〜

・もし誰も来なかった場合、ひとりごとをするかじーっとしてみて無意味な時間を味わう

・議論はしないで対話にする

 

という感じです。

興味ある方は、ぜひ聞いてみてください。

 

最初のうっかり無意味ラジオ

何曜日かの夜9時 予定

 

 

 

 

 

 

むずかしいので冷凍保存します

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昨日から自己肯定の場を作りたいと考えていましたが、

 

片手間でできることではないと考えて、いちど冷凍保存することにしました。

 

考える前にやってみなよ!という気持ちもないわけではないですが、

 

考えれば考えるほどむずかしいことだと実感しています。

 

ここ5年前くらいから「コミュニティ」という言葉を頻繁に聞くようになりました。

 

今までは、コミュニティって少しカッコつけた感じがするし、どうしてそんなに囲まれたチームを作りたいのかな?と思っていましたが、

 

いまはこの言葉が全然違って聞こえます。

 

人は人との関わりによって生きていけるんだと思います。(逆に、人との関わりによって生きていかれない時もあります)

 

コミュニティをつくると、なにかがはじまるんですね。

 

なにか目的をもったら、コミュニティを作らざるを得ないんですね。

 

初めてわかりました。

 

 

しかし、今の私にはそこまでのことをやるエネルギーも大きな目的意識もないと思います。

 

だから今できることをやります。自分の友達やツイッターチングを大切にして生活していきます。

 

おわりです。

 

ちなみに、自己肯定とは別にTwitterで知り合った友達(私が友達だと思っている友達)と、Twitter以外でなんか楽しいことしたいなってちょっと思ってます。

 

なんか面白いプラットフォーム?アプリないかな〜と探し中です。

 

(この話の相談に乗ってくれたチングに感謝します。忙しいのに長文を読んでくれてありがとうございました。)

生きるのが怖い・自己肯定の場をつくりたい

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今朝、というか今、とても頭の中がぐるぐるしていたので

日記帳に気持ちを書いていた。

 

自分に関しての問題はたくさんあって、理解しているつもりだったけど、思って以上に大きい悩みもあるんだなと自覚した。

 

それは「生きるのが怖い」ということです。

 

自分でも少し悲しい現実だけど、すべての根本にこれがあるように思います。

 

どうして怖いのか

なぜ怖いのかというと、今と未来が不安でたまらなくなるからです。

 

わたしは自分の気分をコントロールするのが不得意です。そういう自覚があるから、常に安定させられるように努力しています。

 

・無理をしすぎない

・睡眠はちゃんととる、でも神経質になりすぎない

・ごはんをしっかり食べる

・一日一回はヒーリングタイムを作る

 

それでも、こういう恐怖心と不安感が常につきまといます。

 

・気分をコントロールできなくて、家族を困らせたらどうしよう

・気分をコントロールできなくて、また死にたくなったらどうしよう

 

大学生の頃から不安定になることが増えていき、今も不安定だなと思うことが多いです。そんな風に見えないとよく言われるんですけど、本当に隠したくて、隠すんです。

 

常に、自分の行動が自分の精神や相手の精神にどういう影響があるのかを考えてしまいます。だから、すごく毎日つかれてしまいます。

 

この気持ちを、どういう風によく変えていけるのかを考えていました。

 

自己肯定感

やっぱり、ここにチャンスがあると思っています。

 

わたしは大学生のころ子どもに関する問題について学んでいました。

自己肯定感というのは、子ども関係のことを学んでいると頻出するワードです。

 

どの文献を読んでも、どの教授の話を聞いても、自分で学んでも、やはり自己肯定感を育むということが子どもにとって大切であるという結論になります。

  

わたしの好きなメンタルヘルスの先生であるゆうすけさんは、こう言っています。

 

でも、そもそも本来の意味での「自己肯定感」とは、評価という軸から外れた自分の存在を認めるという感覚なのであって、(以下略)

 

自己肯定感という言葉について(最終回)|Dr. ゆうすけ|note

 

 自己肯定感は、ジャッジの外にある。ジャッジされる場所では育ちにくいようです。

 

そして、自己肯定感を育むためにはどうすればよいのか。

「評価(ジャッジ)」されない人間関係をどうやったらもつことができるか。

 

これもまた難しくて、運やら縁の要素がからんでくるんだけど、それを得るためには、まず自分の方から、評価とは関係ないところで人と関わるという態度が必要なのだと思う。

 

これだ!です。

 

自分からできることと言えば、他人をジャッジしないようにすること。

そして、評価と関係ないところで人と関わろうとすること。

 

これをやっていこうと思います。

 

どうしたらいいのか具体的にきまってないんですけど、自己肯定感を育みたい人と一緒に、安心できる場をつくっていきたいです。

 

いまのところ、インターネッツで関わった人となにかできたらいいなと考えています。

・いつやってもやらなくてもいい

・人をジャッジしない場所

・失敗しても大丈夫

 

そんな場を作りたいです。

 

 

 

サモの仲の良さにひっくり返る

さきほどまで、

  • サナさん
  • モモさん
  • ブーさん(犬)
  • 途中までナヨンさん

がVLIVEをやってくれました。

 

個人的に伝説に残るVでした。こんなにくつろいでいるアイドルを初めてみました。笑

おうちでくつろいでいる姿を見せてくれて、とても楽しかったです。

 

その中でも、特にサモの仲の良さにとても驚きました。そのことを書きます。

 

サモの仲の良さ

後半の2時間くらいは、サナさんとモモさんで生放送をしていました。

 

わたしは、こんなに人って仲良くなれるんだ、と本気で驚きました。そして、人ってこんな素敵な関係性を作れるんだ、と希望をもらいました。

 

仕事おわりで疲れているのに、全く嫌な雰囲気にならない。お互いに無理がない。それを2時間ナチュラルに続けているというのは、とてもわたしにはびっくりでした。

 

なんというか、お互いが自然にお互いのことを好きでいて、無理をしないで、本当に楽しそうにしている。

 

川の水が流れているのを見ているような、葉っぱが秋に色づいているのを見ているような、そんな普遍的なものを感じました。

 

ソウルメイトなのかしら

どうしてそんな風に仲が良いのか、わたしには理由が分かりません。

 

分かりやすい理由をつくるとこうなります。「この二人は、若い頃から厳しい状況で助け合ってきた。そのことがここまでの関係性をつくりあげた。」

 

確かにそうですが、そのことを踏まえたとしても、ここまで仲良くなれるでしょうか。

 

この二人は真のソウルメイトだと思います。次に生まれ変わっても、またきょうだいや恋人や、仕事のバディ(?)として巡り合うと思いました。

 

言葉にすると、ありきたりになってしまいますが、この二人の仲の良さはすごいレベルに達していると私は思いました。

 

まとめ

びっくりして、感動して、希望をもらったというお話でした。

 

私も努力して、人として信念をつらぬいていけば、このように人と縁を結べるのでしょうか。

 

とても希望をもらったVLIVEでした。

 

※これは個人的に感じたことです。私が感じたことなので、このブログに書かれていることが真実という訳ではありません。

二人の仲の良さを誇張して、誰かに見せびらかしたいという気持ちではないということを一応書いておきます。

 

 

 

 

わしの嫌味な言い方&お餅ゴリ

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そういえば、昨日、おとついに書いた文章によって、自分はいやみったらしい言い方をする人だと初めて自覚しました。

 

正直になって話す勇気がなく、だからといって感情を爆発させることもない。

 

本当に無難に生きようとしていたんです。

 

これからは、自分の意見をはっきり言って、相手の意見も尊重できる人を目指していこうと思っております。

 

アサーティブって、もしやPDニム・・・?

この考えを、明確に意識できるようになったのは、アサーティブという考え方を知ったからです。

 

(昨日に引き続きです)

やっかいな感情と上手につきあう|学習編|伝え方のヒントブック|アサーティブジャパン

自分の気持ちや意見を、相手の気持ちも尊重しながら、誠実に、率直に、そして対等に表現すること

 

この考え方、もしかするとPDニムの考え方に近いなと思いました。

 

PDニムがTWICEに言っていたこと

PDニムの言葉をあげてみます。

 

 

「悪口は言わないでほしい」

 

 この言葉をアサーティブな考えに変換してみると、

→悪口は、相手に対して怒りが起こると言ってしまうかもしれない。

しかし、怒りの感情は自分の中で生まれるものである。怒りが生まれることは悪いことじゃない。

その怒りを我慢せず、自分の感情と向き合いなさい。素直に向き合ってから、相手にどうしてほしいのかを伝えなさい。

 

ということではないでしょうか。

 

まとめ

PDニムがTWICEに伝えたかったことの一つには、自分のことも相手のことも尊重するコミュニケーションをしてほしいという気持ちがあったと解釈してます。

 

今までは、悪口を言わないなんて人間らしくないし、そのままではストレスが溜まってしまうのでは?と思っていました。

 

でもアサーティブの考え方を知ると、しっかり自分の感情と向き合えば、誰も不必要に攻撃する必要はないんだと分かりました。

 

PDニムがTWICEに求めていることは、本当に善き人間になることなんですね。

 

…本当に難しいことだと思います。

 

でも、TWICEを見ていると本当にそのことを達成しようとしているように感じます。その姿を見ているから、心に響くのかな思いました。

 

 

おわり

パジャマお餅ごり(PDニム)を見たい方はこちら

※再生したらすぐです

youtu.be

 

 

 

 

 

昨日のつづき(批判と攻撃について)

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昨日書いたブログで、批判的なことを書きました。

しかし、これは攻撃じゃないのか?と不安になり、ちょっといろいろなサイトを見ていました。

 

すると、とびきり分かりやすいサイトに出会えました。

 

サイトを紹介しながら、昨日の自分の文章が批判だったのか攻撃だったのかを見ていきます。

 

アサーティブとは?

わたしが見たサイトはアサーティブジャパンという、人と対等なコミュニケーションをするための考え方・やり方がまとまったサイトです。

 

アサーティブであることとは、こういうことだそうです。

自分の気持ちや意見を、相手の気持ちも尊重しながら、誠実に、率直に、そして対等に表現することを意味します。

 

www.assertive.org

 

はじめに、の文章からわたしは救われました。

 

引用します。

コミュニケーションのよしあしは、性格で決まるものではありません。なぜなら私たちは子供の頃から上手なコミュニケーションの方法を学んではきていないのですから。
大事なのは、性格を社交的にするといったものではなく、「本当に必要なこと、伝えたいと思っていることを、適切な言葉で伝えられる」というスキルや考え方の部分です。 

 

わたしは自分の性格のせいでコミュニケーションがうまくできないと思い込んでいたので、眼から鱗でした。

 

また、

自分さえ我慢すればいいとか、相手が思い通りに動いてくれないなら切り捨てるといったやり方ではなく、自分も相手も尊重する話し方のスキルを身につける。

そうすることで、大事な思いを伝えられなかったり、ストレスが爆発して人間関係を悪化させるということなく、毎日を生きることができるのではと思います。 

 

ここでは「話し方」と言われていますが、文章でも応用できることがたくさん書かれていました。

 

昨日の文章はどうだったか

昨日の文章は、相手も自分も尊重できていたのか、少し見ていきたいと思います。

 

darona.hateblo.jp

 

映像が美しいから、観ると癒されるかなと思ってたんですが開始15分くらいで苦手な描写が出てきました。

 

極端な言い方をすると、女性を性的なモノとして扱い、少年を性的に興味が強く制御ができない人間風に描いていました。

 

そこのシーンを見た瞬間に、ポチっと停止してしまいました。

 

君の名は。でもそういうシーンがあって不快になったのにも関わらず、また同じ監督さんの作品を選んじまった自分に少し後悔しました。

 

しかし、そんなシーンなぜ入れるんだよ、という気持ちの方が強くあります。子どもに見て欲しくないです。

 

誰も完璧じゃないことはわかってるけど、多くの人が見る作品だと思うので、次回作は改善してほしいと感じました。

 

今はマーニーかポニョを観たいです。

 

正直に言うと、怒りがこもって少し攻撃的でした。

 

「また同じ監督さんの作品を選んじまった自分に少し後悔しました。」

という部分は、非常にいやみったらしいです。

 

ここの部分は、本当は、自分にもっと誠実に書くことができました。

 

実は、「君の名は。」から改善されているだろうという期待を込めてレンタルしていたんです。

同じ監督の作品だとわかっていながらレンタルしていて、そういった描写がないことを期待していました。

 

この気持ちは、正直に書くべきだったと思いました。

正直に書かなかったから、こんないやみな言い方をしてしまいました。

 

 

また、最後の部分に改善してほしいという気持ちを書いたのはよかったと思います。しかし、

「今はマーニーかポニョを観たいです。」

ここは完全にいやみです。

 

もし正直に書くなら、

ジブリではこういった不快感を受けたことは一度もなかったと思います。そういった不快感があったかどうか思い出せません。

実際にジブリのように女性蔑視のような表現がなくても、すてきな作品が作れると思います。新海監督にはそこを改善してもらえたらわたしは非常にうれしいです。」

という風に書けばよかったです。

 

あとがき

逆に、不快感を出すなら、爆笑問題の太田さんのように、

はっきりと自分が悪者になって表現したほうがすっきりしているなあと思います。

 

いやみったらしく言うのは1番よくない感じがしました。

 

次からは、

自分に正直に書くか、

太田さんのように悪者にしっかりなるか

決めて書きたいと思います。

寝る前の気持ち など

 

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最近、寝る前に暗い気持ちになります。

とはいいつつ、眠れないことはないんです。

 

でも眠るまでに暗い気持ちになるのはちょっとしんどいです。

 

今、どんな解消法があるかなと考えていたんですが、

この気持ちをそのまま受け止める、というやり方でいい気がしてきました。

 

あー、いまこんな気持ちだなぁ。

悲しいなあ。

しんどいなあ。

そんな気持ちの自分だなあ、でいいです。

 

いつもポジティブではいられないし、受け止めることが心の平穏につながりそうです。

いま、受け止めるという言葉を書いただけでも少し安心してきました。

 

やっぱり、気持ちを正直に書くことは、自分を癒すことにつながっていると思います。

 

天気の子・・・

さきほど、レンタルした「天気の子」を観ていました。

映像が美しいから、観ると癒されるかなと思ってたんですが開始15分くらいで苦手な描写が出てきました。

 

極端な言い方をすると、女性を性的なモノとして扱い、少年を性的に興味が強く制御ができない人間風に描いていました。

 

そこのシーンを見た瞬間に、ポチっと停止してしまいました。

 

君の名は。でもそういうシーンがあって不快になったのにも関わらず、また同じ監督さんの作品を選んじまった自分に少し後悔しました。

 

しかし、そんなシーンなぜ入れるんだよ、という気持ちの方が強くあります。子どもに見て欲しくないです。

 

誰も完璧じゃないことはわかってるけど、多くの人が見る作品だと思うので、次回作は改善してほしいと感じました。

 

今はマーニーかポニョを観たいです。

まとめ

寝る前の暗い気持ちを受け入れようという話と、

あまり観たくない描写を観てしまって少し嫌だったな〜という話でした。

 

こういう意見ってどういう風に書けばいいのか分かりません。今まで、自分の意見をしっかりと表明することをほとんどしてこなかったからだと思います。

 

攻撃をしないで、意見を表明するにはどうすればよいのでしょうか。

次はそこをまとめて書きます。