「わたしに無害なひと」感想
ずっと「わたしに無害なひと」の感想を書こうとは思っていました。思ってはいたものの、行動に移すまでに少し時間がかかりました。
おそらくこの小説に書かれていることの素晴らしさを伝える自信がないからだと思います。
でも、とりあえず、書いてみます。
わたしに無害なひと(となりの国のものがたり5)akishoboshop.com
今の社会のつらさ
最初に思ったのは、この小説を多くの人に読んで欲しいということです。なぜなら、今を生きている若者の心情が映し出されていると感じたからです。
今の社会には、ものすごく大きな閉塞感があり、日々自尊心を削られるような状況だということを、この本を通して理解できた気がします。(韓国のお話なので全てが一緒ではないですが、空気感は似たものがあると思います。)
頑張っても頑張っても、報われない現実があること。結構もがいたつもりなのに、なんか届かない。
なにを目指しているのか分からなくなるほど日々に疲れていること。
こういう気持ちになっている若い人は多いんじゃないでしょうか。私自身も、そういう気持ちをうまく誤魔化して、なんとなく自分のせいにして生きてきたような気がします。
今の社会で生きていることが、どれだけ大変なことなのか、初めて実感できたような気がします。
さらに言うと、社会的に強い立場にいて人の苦悩を見下している人がこれを読んでも、心の琴線になにも触れないと思います。
一人の人、人生の尊さ
この小説に出てくる人たちのことを考えると、誰の人生もどうでもいいことは一つもありませんでした。
バスに乗っているときも、歩いているときも、部屋で考え事をしているときも、すべてをひとつひとつ積み上げながら人生を生きています。
人が生きるということは、小さなめんどうなことの積み重ねだと思います。トイレに行き、まばたきをして、とても小さなひとつひとつの出来事や行動が尊いんです。
大切ではない人生は、この世に存在しないです。すべて、本当にひとりひとりが貴重な人。そういうことが心に迫ってくる小説でした。
アーチディにて
思い返してみると、最後にある「アーチディにて」が1番心に残っています。これを読んだときは、小説でこの感覚になることがあるんだ、と驚きながら泣いていました。
とにかく生きているということ、生身の人間の必死さと人と人との関わりが感じられます。
苦しいことだけではなく、人間と人間がぶつかりあった時の熱のようなものを感じます。
受けた傷と、与えられた傷
私が今まで生きてきて、受けた傷のことを思い返しました。
とても小さな傷で、自分で傷だと思っちゃいけない、と思うくらいの傷の存在があるということに気づきました。
些細な傷の存在をなかったことにして、それにフタをして生活しているなぁと。その傷に向かい合っていたほうが自分のことを分かってあげられていたと思います。
また、人に与えた傷のことも思い出していました。
まとめ
この小説を読んでいろんな気持ちになったので、まだ整理がついていない部分もあります。
向き合ってこなかったけど、確かに存在している傷のことや、人生の尊さを感じられたと思っています。
生きていく上で大切にしたい気持ちに気づかせてくれた小説です。
ぜひ読んでみて欲しいです。