燃ゆる女の肖像 感想その2 音と演技
それでは第二回目です。
まずは音に関してまとめようと思います。
(※内容に触れるので、まだ観ていないかたは注意です。)
音
燃ゆる女の肖像では、音楽がとても大事です。18世紀は音楽が簡単に聞ける時代ではなかったため、主役たちが音楽に触れる機会は3回しか出てきません。
しかし、たった3回の音楽からものすごく大きな力が伝わってきます。
当時簡単には聞くことのできなかった「音楽」というものの存在を、
映画を観て追体験しているようでした。
セリフと人間の動きの音しか出てこない中で突然、メロディーが聞こえたときのインパクトは、普段の生活では感じたことのないものでした。
何かに例えると、音楽の授業で「魔王」を初めて聞かされた時のようでした。
(同年代の人しかわからないかもです🙏)
また、散歩をするために外出したときの、波の音・風の音も印象に残っています。
大きい音で、自然を畏れるような気持ちになりました。
主演二人の演技と描かれた恋愛
私はお芝居や演技を学んだことはないけど、自分なりに書いてみようと思います。
主演お二人(アデル・エネルさんとノエミ・メルランさん)のインタビューでは、
リハーサルをしないで撮影した、ということが語られています。
ということは、本番の一回で初めて合わせるということです。
画家のマリアンヌ役であるノエミさんは、演技のやり方は1000通りあると語っていました。もしお互いに1000通りのセリフの言い方があるなら、本番では100万通りの中から1つが生まれるということです。
それって、頭で考えて行動するというよりは、もうそこにいて、その場の全てを汲み取ってやるしかないような状況になると思うんです。
この即興性を自由に使って演じたことが、今までにない恋愛の過程が生まれた理由なんじゃないかと思います。
こんなインタビューがありました。
「支配欲から解放された恋愛などありえるのだろうか?」という問いへの答えです。
(アデル・エネルさん)
「自分はこういう人間だと思い込んでいたものとは違う、新しい自分に気づくのが“純粋な恋愛”だと私は考えます。
ある意味、お互いの存在そのものが“冒険”というような……。
相手と対峙し、過去を振り返るのではなく、これから先のことを一緒に作り上げられる可能性がある関係。」
ここでアデルさんが話している純粋な恋愛の定義は、「新しい自分に気づく」ことです。
そして、「これから先のことを一緒に作りあげられる可能性がある関係」。
これって、そのまま演じていた二人の状況とマッチしていると思うんです。
だからこそ、映画というフィクションの中で、信じられないらいに実体を感じる「恋愛」が見れたのだと私は思っています。
まとめ
あー、本当にいい映画を観れて嬉しいです。
なんか自分の価値観がまた更新されたような気がしています。
次回には、この即興性が生まれた現場はどうやって作られたのか(女性同士の連帯)、そして女性というものについても書きたいです。
前回の感想
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