燃ゆる女の肖像の感想じゃなくなっちゃった ※2/5編集追記
燃ゆる女の肖像の感想を書こうと思っていましたが、感想というよりも、自分に対する気づきの話になりました。
女性のまなざし
画家のマリアンヌ役であるノエミ・メルランさんは
「Female Gaze=女性のまなざしによる映画という新たなコンセプトを意識するようになりましたね。」とインタビューで話しています。
「"フィメール・ゲイズ=女性のまなざし"による映画という新たなコンセプトを意識するようになりました」『燃ゆる女の肖像』ノエミ・メルランインタビューneol.jp | neol.jp
お互いが対等な立場に立ち、1つの作品を共有していると実感できるーーそれこそが、より興味深い作品を作るのに相応しいやり方だと思いました。
その視点を感じたんだと思うんですが、観終わった後のじんわりとした感動が他の映画とは違いました。じんわりとした感動というのは、熱かったり温かったり、静かだけど頼もしいような気持ちです。
私は初めて、女性のまなざしというものを実感することができたんだと思います。
これによって、私自身の捉え方に変化が起こりました。
私の悩み、考えてきたこと
私は小さい頃から「ボーイッシュだね」と言われることがよくありました。
もちろんそれは自分で分かっていることだったけど、他人から「ボーイッシュだね」と言われたときは、なんとも言えない複雑な気持ちがありました。
誰に言われるかにもよりますが、あまり嬉しくはなかったです。
なぜ嬉しくなかったのか、ずっとわからないままでした。でもこの映画を見て考えているうちにヒントをもらったような気持ちになったんです。
なぜ複雑な気持ちになったのかというと、ボーイッシュに見える格好をしていることが、私にとっては「(女性である)自分としてかわいくて素敵なこと」だったからです。
女性である私がその格好をして、かわいいし素敵だと思っていたのに、それを「ボーイッシュ」という言葉で説明されると、「ただ、男の子らしくしてる」ということにまとめられた気がしていました。
そのことに違和感があったんだと思います。
たしかにボーイッシュな格好なのは間違いないけど、それは自分の中で「男の子っぽく」なるためにしていたのではなく、「自分がかわいく素敵」であるためにこうなった、という感じでした。
私は女性だけど男性っぽさもあり、女性っぽさもあり、でも男みたいと言われるのは嬉しくない。でもボーイッシュと言われる表層をしている自分が嫌いではない…一体なんなんだこの感情は?と思ってました。
その曖昧さが心地よいのではなく、ずっとモヤモヤしていたんです。
でも映画を観たことによって、とても複雑な感情を言語化できました。
自分が女性という性別に含まれる存在だということを実感したからなのかなと思います。
私はこのままでいいんだ、自信を持っていいんだ、こういう感じを大切にしていいんだ、と思いました。
それがものすごくうれしかったです。
まとめ
「燃ゆる女の肖像」は、ずっと私のことを勇気づけてくれている感じがしています。
自分の中には、女性としてのアイデンティティが少なからずあって、それを感じさせてくれたのかなと思います。
上手く言葉にできてなさそうですが、こんな感情になったということを書いておきます。
この文章を読んで疑問やモヤモヤがあったら教えていただけたら嬉しいです。
おしまい
▼感想その1
▼感想その2