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岩崎航『日付の大きいカレンダー』感想

岩崎航さんのエッセイ『日付の大きいカレンダー』を読みました。

 

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岩崎航さんは1976年生まれの詩人。3歳のころに進行性筋ジストロフィーを発症し、現在は在宅医療や介護のサポートを受けながら自宅で生活しています。

 

このエッセイには病を受け入れるまでの数多くの葛藤や、支えてくれた人たちへの感謝が綴られています。

 

岩崎さんの強く優しい心や、落ち着いた心が伝わってくるような文章です。

 

特に私の心に残ったエッセイを抜き出してみたいと思います。

 

「鶴の足と、祖父のこと」

 

 小学三年生の夏休みに、市内(仙台市のこと)の別の小学校に転校しました。

 この小学校は長い坂の上にあります。僕の足だと家から歩いて一時間はかかりました。

 筋ジストロフィーは症状が進むにつれて、お腹を突き出してつま先立って歩くようになります。すこし誰かにぶつかっただけでも転倒してしまいます。また手放しで立てないので、四つん這いの状態から足をのばし、自分の手で自分の太ももを這い登るようにしないと体が起こせなくなります。こうした状態を登攀(とうはん)性起立というのですが、立ち上がるのに、自分で自分を登攀しなくてはならない。なにか格言みたいな話です。

 

 病による異常を内包したとしても、自然とバランスをとって歩行や起立を可能にさせようとする人間の体の仕組みというのは凄いものだなと思います。

 

小学校時代は、病気ゆえのいろいろな特徴を、よく真似されてからかわれました。人の真似をして騒ぐのは小学生男子の習性みたいなものかもしれません。僕の痩せた体を形容し「骨と皮」「ガイコツ」だとか、辛辣な言葉を投げつけられることもありました。

 

 こうしたからかいを受けることは、僕の中ではかなりしんどいことでした。

 歩行の不自然さや、骨張った体を好奇の目でジロジロ見られるのが、たまらなく嫌でした。とくに足は目立って細かったので、家に居るとき以外では、夏の暑い日でも半ズボンを穿きませんでした。

 

(中略)

 

この頃の登校の思い出として残っているのは、祖父と一緒に歩いたことです。僕の母方の祖父は、宮城県柴田町に住んでいました。仙台からは車で一時間ほどの距離です。若い時には取れなかった自動車免許を取ってからは、たびたび訪ねてきてくれました。

 

たまに、わが家に何泊かして孫の僕らと一緒に時間を過ごしてくれることもあり、そんなとき祖父は朝の散歩と称して、僕の登校に同行することがありました。三十代で患った結核の後遺症で肺活量が少ないため、坂や階段を上るとすぐ息が荒くなります。時折休みながら「スー」「スー」「スー」と息づかいの音がするなか、ゆっくりと歩く道すがら、祖父と二人だけでいろんな話をしたことは、大切な思い出です。

 

このエッセイの最後には、岩崎航さんの五行詩が書かれています。

 

どんなときも

「大丈夫だ」

祖父から母から

私への

魂の 贈り物

 

私は、岩崎さんとおじいさんが歩いている坂道がぼんやり頭に浮かんできました。

二人ともさまざまな困難を越えながら同じ道を歩いている。同じように息を吸って前に進んでいる。

 

とても貴重な時間であるということが胸にズンっと迫ってきて、

まるで自分の思い出のように記憶しておきたい文章でした。

二人にとって、大切な思い出になっているんだろうなと思います。

 

また、小学生のからかいに胸が痛くなります。

私も小学生のとき、体の小さい友達をからかったことがありました。あまり罪悪感を感じずにやっていました。

 

そのことをいつも思い出すのですが、もうどうしようもなく、ただただ本当にやらなければよかったと後悔しています。

 

私も友達にからかわれたことがありますが、今になっても時々思い出してしまいます。人を馬鹿にすることは簡単にできちゃうけど、それをされた人には(たぶん)一生ショックが残るものなんじゃないかと思っています。

 

だからこうしよう、学校で教えてくれ、というわけではないですが、

人を馬鹿にしないということがどんなによいことであるか、もっと知ってほしい気持ちになりました。

 

まとめ

このエッセイは、岩崎航さんの豊かな心をじんわりと感じられます。

非常に辛い思いをした経験を、ひだまりのようなあたたかな文章で表現してくれています。

 

次は『点滴ポール』という詩集を読んでみたいです。