2019年7月ぶりに東京に行きました。
思ったことを3つ書きます。
わたしはずっと東京に憧れていて、大学のころ上京した過去があります。笑
今までのわたしは、東京が一番いい場所で、イケてる場所だ!という認識でした。
さまざまな理由から北海道に戻ってきましたが、東京に染まれない自分はおかしかったんだ、今すぐにでも染まりたいと思っていました。
しかし、ここ数年で考えが変わっていき、
今は北海道にいる自分も肯定できるようになっています。
この状態になったわたしで行けば、東京を違う視点で楽しめると予想していましたが、
…できませんでした。
まさかの、感情が混乱してよくわからなくなる状態に陥りました。笑
やっと自分を肯定できて、自分の芯のようなものができたというのに、
東京に来るとそれが簡単になくなってしまいます。どうしてでしょうか…
大学時代も、学校に行くのと生活することだけで精一杯でした。
アルバイトをこなしながらサークルを楽しむ人たちの体力が信じられなかったです。
29歳の私になっても大学の頃と変わらず、
東京の熱量や速さに慣れることができなかったです。
今回は新宿駅を歩いていると、あまりの情報の多さに倒れそうになってしまいました。頭が真っ白になって怖かったです。
(友人が前を歩いてくれて、助かりました。)
やっぱり東京に圧倒されてしまうということを自覚できました。
何回行っても、やっぱり東京の凄まじさにやられてしまいます。
消費のスピード
東京にいると、消費をすることになんのためらいもなくなっていく感覚があります。
コンビニでもお金もホイっと出しやすいです。
なぜそうなるのかというと、人の多さや活気ある雰囲気、そして店員さんの人馴れしている感じに触発されているのかな?思います。
(人慣れしてるというのは、家の外と中でのテンションの違いが少ないまま、生活してる人という意味で書いています。)
こじつけかも?しれませんが、東京にいるときは、考える隙がないままお金を出してしまう印象を受けます。
お金を出しやすいということは、経済にとって、企業にとって、給料をもらう人にとってはいいことです。
しかし、こんなに消費スピードが速いと、
環境や生産する人とのバランスが保てているのだろうか…という疑問が浮かびました。
人が多いだけで、私が住む街となんら変わらないとも思いましたが、
やっぱり「東京スピード!」みたいなものがあるように感じます。
植物の成長や、料理をつくるスピードとはあまりにもかけ離れているな、と感じました。
東京のひらめきと生み出す力
東京にいると、すぐそこに人を感じ、何かが動いているのを感じます。
常に「動」という雰囲気で、熱量を感じます。
そういう雰囲気に身を置いていると、なんだか自分の中の感情に火がついて、
何かを生み出したくなりました。
絵とか、文章とか、音楽とか、つくるものなんでもです。
そんな立派なものじゃなくても、なにかを作りたい気持ちになりました。
そして、その気持ちが周りの人から許されているような雰囲気も感じます。
地元の北海道にいるときは、アートなことをする人は珍しい人という雰囲気を感じます。働いてお金をもらっている間に何かを作るのはふつうだとされていますが…。
プライベートで作る人はすごい!不思議!といった感じです。
東京はものづくりをする人にとってはうってつけの場所なんじゃないかなと思います。
自分がぐにょぐにょになっても大丈夫だし、いろいろ試行錯誤しても大丈夫な街。
おかしくなってもよくて、それさえネタにして進んでいけるような街。
そんな印象を受けたので、なんだか面白い場所だなあと思いました。
そういう気持ちで散歩してみると、それぞれの人が周りを気にせずに楽しんでいるように見えます。金曜の夜だったからかもしれませんが…。
人が多いだけで、いろいろな交流が生まれたり、いろいろな感情がうまれると思います。
だからこそ、とても面白く、新しいアイデアもうまれやすい街だと思いました。
おしまいです。
ご静聴ありがとうございました!
おまけ
NHK?