蔑む人を蔑んだらどうなる
ほぼ日記です。
今、自分のことを蔑(さげす)まれたとき、どうやってよりよい生き方ができるのか考えています。
なにか自分を蔑むようなことや、嫌なことをされたとき、どのような態度や行動ができるのか。
最初のステップ
最初は、自分の気持ちに気づく。
悲しいとか、怖い、とか言葉にならなくてもその感情を感じてみる。
そのあと
そのあとです。
その人の態度を口にして怒る、日記に書いて発散する、モノにあたる、嫌だった話をきいてもらう、好きなことをして忘れようとする。
ものすごく嫌なことをされたとき、大切にしてもらえなかったとき、
やり返したいという気持ちになることもあります。
その相手をバカにしたり死んだ方がいいと思ったり、実際に頭の中で殺してみたり。
相手がしたように相手のことをに蔑んで、無くてもいい存在だと思うことにしたらどうなるのか。
相手が無くてもいい存在なら、その人を殺すということもOKだということになってしまいます。
ということは、これは戦争と同じことではないかと思います。
蔑む人を蔑んだら、同じことが繰り返されるのではないでしょうか。
別の視点
また別の視点で考えてみます。
自分個人の人生としてです。
自分がその人に復讐しても、自分が思ういい人生ではないように思います。
創造的じゃないというか、面白くないというか。
ある事件
こういうことを考えると、ある事件を思い出します。
2016年に韓国で起こった江南駅殺人事件は、女性蔑視によって引き起こされた事件でした。
女性というカテゴリーに属していただけで、蔑まれ、命を奪われてしまった。
人を蔑むという行為は、突き詰めるとその人には生きている価値がないと思うことだと思います。
・・・・・・
じゃあ、それをされたら自分はどうするか。
自分にできることは、同じことをやらないようにする。
蔑んできた相手と、同じことをしない。
これは、もしかすると1番難しいことなのかもと思います。
とてもつらいことだけど、それ以外によい生き方を見つけられないです。
まとめ
このことを考えてみると、
小さなことでも、嫌なことをされた時にどう行動するかが見えてくるような気がします。
ただ、やり返すのではなく、ほかの戦い方をしたい。
なにかがよくなるような行動をしたい。
そうしていく努力をしたいです。
おしまい