窮屈がいやだ
何か一つの主張や、自分の立場を表明すると、そのことを貫き通さなければならないような気持ちになる。
例えば自分は性的マイノリティです。レズビアンです。同性愛者です。
というと、周りからその目で見られるから、ちゃんとしなきゃいけないような気がしてくる。
相手にとっての最初の性的マイノリティであったなら、いい人でありたいと思ってしまう。
こういう考えが自分を縛って、窮屈にさせてしまいます。
誰も頼んでないのに、いい人になろうとする。
(自分の中のいい人のイメージは、爽やかで人の意見を聞く人って感じです。)
ありのままの自分でいいと思えるなら、失敗したとしても大丈夫。
オープンな自分でいいと覚悟できるなら、窮屈な気持ちにはならないと思うのです。
ありもしない、いい人を求めて
(ちょっとこのタイトルかっこいい感じがする)
もともと、ありのままの自分を受け入れることよりも、変化を求める性格なのかもしれません。
今このままでもいいけど、やってみよう!
じゃなくて、
やるぞ、やるぞ、変わるぞ、です。
気楽さが少ないです。
だから、理想ばかり追い求めて、しんどくなります。
こんな自分でもいいじゃない。
ってか失敗した自分、なんか滑稽だな。
という感じで、親友を見つめている感じで、子どもを見守っている感じで、自分のことを見ていきたいです。
そうすれば、カムアウトしたり、意見を主張したあとでも窮屈にならないと思います。
それでは、想像上の批判コメントを作って、返してみたいと思います。
「あいつ、変だな」ー 変ですよね、私もそう思います。
「偉そうにジェンダーのこと話してて、なんかつまらないな」ー そう思いますか?ありがとうございます。でも、これが私なのです。
「あなたってカムアウトしてすごいね。なんか言いづらくない?」
ー 言いづらいです。でもこれが私なのです。本当なら隠しもしたくないし、言いたくもないです。全ての人が勘が鋭くなって、自然とわかってほしいです。でもそれは難しいことなので、言いました。
こうして書いてみると、
わたしは誰かに批判されるのが怖いということが分かりました。
でも、批判されない人生なんてあるんですかね。
どの行動を見ても、誰かにとっては悪いことで、誰かにとってはいいことなのかもしれません。
ああ、また哲学のような答えのでないブログになってしまいました。
でもこのあいまいさを受け止める自分でいこうと思います。
おしまい🥟