いまなら分かる
小学生くらいのときからボヤ〜っと感じていたことなんですけど、なんとなく思い出したので書いてみます。
小学生の時にやっていた習い事は武道でした。
そのクラブにはほとんど女の人はいなくて、8割〜9割くらいが男の子でした。
その中に同級生のSくんという男の子がいて、とても仲がよかったです。
Sくんは優しくて、上品な人でした。
話す言葉もサラサラしていたし、武道をやっている時の動き方はクセがなく、綺麗な動きをしていたのを覚えています。
ある日、Sくんと練習をしていたとき、私が武道の動きで攻めたらSくんが転んでしまったことがありました。
そのルール上、相手を倒してしまうことはしょっちゅうあるんですが、私は体が小さかったこともあって人を倒した(転ばせた)ことはほとんどありませんでした。
そのとき「押しすぎてしまった…」という後悔があったのを覚えています。
練習には私の母とSくんの母も見に来ていて、見学しながら仲良く二人で話していました。
家に帰ったあと、母がこんなことを言ってました。
母「Sくんのお母さんがさ、『(私)ちゃんに倒されるなんて、もう〜(笑)』ってめっちゃ笑ってたさ〜」
私「あ、私が倒しちゃったから?押しすぎちゃった」
母「全然、それが悪いとかじゃ全然ないのさ〜。ただ小柄な(私)ちゃんにも倒されるなんて、ほんとうにもう…って笑ってたのさ」
Sくんはけっこう独特な人で、Sくんのお母さんは、よくSくんの面白い出来事を聞かせてくれていました。
だからSくんのお母さんは、Sくんの面白みを感じて笑っていたのだと思います。おそらくそれは、Sくんの負けん気の少ないこととか、情けないこと(たぶん)をおもしろがっていたのでしょう。
でも、私はなんか、やっちまったな、という気持ちと、
なんでこんなに面白い話になっちゃうんだろうって思っていました。
言葉にするとこうなんですけど、その時は
「あー面白かったのかぁ。ははは。でもなんだろう〜?」ってくらいにしか表せなかったと思います。
今になって、このことをジェンダー的な観点から見てみると、
・男の子が負けん気が強いことがよいこと、みたいになっている
・女の子のほうが男の子よりパワーがあると、男の子はみっともないみたいな風潮
・もし私が男の子だったら、ここまでSくんのお母さんは面白みを感じなかったと思う。私が女だったから、Sくんが倒されたことの弱さみたいなものが増幅されたように感じ、さらに面白くなったんだと思う。
ここに書いたことは、よく考えると同意してくれる人が多いと思います。
でも、これ、人に話す?いちいち訂正する?と考えると
うーん、その場では言わないかも、、、って思うんです。
しかもその場ではちょっとしたモヤモヤになるだけだと思います。
でも、私が男性と女性、ジェンダーのことに注目するようになったのは、
こういう違和感が日常のなかにいっぱいあったからじゃないかな〜と思うのです。
いつのまにかシュミレーション
いつのまにか私は、他人が話した言葉を、他の性別の人が同じことを言ったらどう感じるかをシュミレーションするようになりました。
大学で男子学生がしゃべっていて、違和感を感じたらすぐに頭の中の女性に同じことを話してもらう。
女性が話していて、違和感を感じたら、頭の中の男性に同じことを話してもらう。
これを繰り返していると、本当に色々な気づきがありました。
今もけっこう無意識にやってしまうこともあります。
男性が言った言葉では、圧力や支配的であることが浮き彫りになることが多かったです。
女性の場合では、キツく感じた言葉も男性に置き換えるとそんなに強い言葉ではなかったな、と感じて反省したりしていました。
こうやって自分の中で、性別をとりかえっこして物事を見ているうちに、
まじで世の中の男性と女性という分け方ってなんなの?って思うようになりました。
さまざまな本を読んでいくうちに、その性差は文化的に作られた嘘(少し大げさですが)だとわかったときは、ええ〜〜〜?ってちょっとドン引きしましたけど、
自分の違和感は間違ってなかったと思ってほっとした部分もありました。
まとめ
なにが言いたかったんでしょうか。
なんとなく思い出したことを書いてみました。
私と同じくらい、この世の中のおかしな性別のあり方(表現のされ方)に違和感を感じている人がいたのでしょうか。
こんなこと言っても本当に仕方ないんですけど、世の中の性別は文化的につくられたものである、と誰か一人でも教えてくれたらよかったのに、と思いました。
もっと若い頃に出会えていたら、もっと早く自分に自信が持てたと思います。
こんなこと言っても仕方ないけど、やっぱりこう思っちゃったので書きました。
おしまい