他人と同じような幸せを信じていたのに
ってマサムネさんは『楓』の中で歌っています。
他人(ひと)と同じような幸せを信じていたのに
わたしはこのフレーズで震えました。
大学生のころ、10月くらいですかね、、、
キャンパスに向かって歩いて、
キンモクセイの香りがして、
初めてくらいにこの曲を聞いて、
『人と同じような幸せを信じていたのに』
の
「いたのに〜」の音階で
ぶわぁぁぁぁって心が震えました。
その頃は歌詞の意味を自分に当てはめて聞くことはなかったです。
でも今聞いてみると、
わたしにとって
人と同じような幸せを信じていたことって、
異性の人と結婚して子どもを育てることだったのかなって思います。
(今でも子育ては全然諦めてないですし、やります。)
その頃のわたしは、自分が異性愛者だということをほぼ完璧に疑ってませんでした。
はて、、、?とたまに思うことはあっても、
気持ちと身体の軸が異性愛者であるということになっていたんです。
今では、気持ちと身体の軸が同性愛者であるということになっていると思います。
軸ってなんだよと思うかもしれませんが、
歩いてる時の身体の感覚というか、気持ちの感覚がちょうどいいところにあるという感じです。
わたしは気づくのに時間がかかりました。
認めるのにも時間がかかって、、、
でも気づけてよかった。
って心からそう思います!
色んな人との出会いの中で、
自分の気持ちに気づいたり、理解してもらえたり、分かち合えたりしてきました。
完璧に殻に閉じこもってたときもあります。
閉じこもってたときは本当に相談できなくて、
同性が好きということの相談と、
恋愛をするということの相談の両方ができなくて、
本当につらかったです。
今は
存在を否定されても戦おうという気持ちが持てるほど図太くなったし、
弱いことを自覚して助けを求められるようになったので良かったと思います。
マサムネさんの歌詞を引用して自分語りをしてみました。
とにかく一番思うのは、わたしに心を開いてくれた人たち、率直な気持ちを伝えてくれた人達にありがとうって思います。