ストレス解消&驚いたこと
今日は短い文章二本立てです。よろしくお願いします。
文章を書くことはストレス解消になっている
やっぱり、文章を書くことはストレスの解消になると思います。このブログがあることによって、気持ちを整理できるようになりました。
たまに人に見られることを意識しすぎて、緊張して具合が悪くなることもあります。でも、それ以上に自分の気持ちを知ることができるので、収穫は大きいです。
自分の気持ちを書ききると、自然と鬱屈した気持ちが解消されます。
書ききるというのが大事です。「書ききる」の意味は、自分の正直な気持ちが出てくるまで書くということです。
これができると、すごくストレスの解消になります。気持ちを正直に書けないと、モヤモヤが少し残ります。
なんとなく人生を振り返ってみると、本当に落ち込んでいるときは文章を書いてなかったような気がします。(もしかすると書けなかったのかもしれません。)
本当に落ち込んだときの自分が、これを覚えていてほしいです。必ず文章にして発散してほしいけど、難しいですかね…。
今日の日記
今日、環境活動家のグレタさんについての本を少し読みました。
衝撃的だった部分があります。
グレタさんは11歳のころ、環境破壊のことを知ったことが原因でうつになりました。そして体調不良になり、10キロもやせました。入院している時期もあったそうです。
私はそんなこと全く知らなくて、最初から勇敢に声を挙げていたのだと思っていました。こんな壮絶な体験をしていたなんて、とても驚いたしショックでした。
いろんなことを背負わせてしまってごめんねって思いました。
自分もなにか行動して、若い世代への悪影響を減らしたいです。
できることから少しずつやろうと思います。きっとなんでもそうですよね。自分にできることから始めてみます。
タトゥーについて
チェヨンさんのタトゥーがいつも隠される事実にモヤモヤしています。思ったことを少し書きました。
読んだ記事2つ
今日はこの記事を読んでいました。
「タトゥーがこんなにも嫌われる理由」
https://www.buzzfeed.com/jp/ryosukekamba/tattoo-girai
日本におけるタトゥーの歴史について書かれています。日本の慣習についても話が発展していて少し難しかったですが、勉強になりました。
そのあと、もう一つ記事を読みました。
この記事は、タトゥーを隠すことを推奨している日本で、タトゥーを入れている選手がどういう振る舞いをするかについて書かれています。
タトゥーをしているニュージーランドの選手はこう言いました。
「私達は日本に滞在するからには、彼らのやり方、文化を受け入れる」
ラグビーはルールをきっちり守ることに重きが置かれているスポーツです。だからこういう考えに至ったのかなとも思います。
しかし「日本の文化」とは一体なんなのでしょうか。
他の国の文化を受け入れないことが日本の文化なのだとしたら、わたしは全然尊敬できません。
大学生までのわたしの気持ち
実は、わたしは大学生くらいまでタトゥーを彫っている人は温泉に行くべきではないと考えていました。
なぜなら、みんな怖がる!と思っていたからです。
しかし、ここのみんなとは「自分」のことでした。わたしがただ怖いと思っていたんです。
この考えは「タトゥーは怖い人がしている」という、あやふやなイメージが作ったものでした。
直接、嫌なことをされたわけでもないのに、ふわっとしたイメージで相手の行動を規制しようとしていたのです。
昔の自分を否定したくはないですが、けっこう危険な考え方だったなと今は思っています。
まとめ
わたしはタトゥーに対して、まったく怖いイメージがなくなったかというと、そうではありません。
それでも、タトゥーを隠す必要は全くないと感じます。
世間が、タトゥーを隠すことが当たり前だと思い、それを無言でチェヨンさんに伝えているのだとしたら、それは良くないメッセージだと思います。
チェヨンさんの自由な意思を削ぎ落としてしまっている感覚です。
タトゥーが写真や映像に映っても、「ああ、そうなんだ」くらいに世間にスルーされる日が来て欲しいし、自分もそういう感覚でいたいです。
うめぼしをきれいに食べる理由
なぜうめぼしをきれいに食べるかというと、タネをコンポストに入れるからです。
最近、あの10万円の中から4000円を使ってコンポストを買いました。
①3週間生ゴミを入れてかき混ぜる
②3週間ただ混ぜる
と、堆肥ができるというものです。
夜に生ゴミをハサミで切って、土みたいなものの中に入れます。
そしてスコップで混ぜます。
ただこれを毎日繰り返していくだけです。
続けていると、なにかを食べるときにコンポストのことを思い出します。バナナを食べると、ああこれもコンポストに入れる材料だ。
うめぼしを食べると、ああ、このタネもコンポストに入れるからなるべくきれいな感じで口から出そう(汚い)とか考えます。
そして今はこんな気持ちになっています。
「なんか、土に還るものしか食べてないんだな。人間って生き物しか食べてないんだな。」
「いつもわたしが使っているiPhoneもパソコンも最強に便利だし、なにもできないことはないくらいなのに、食べれないんだな。食べても栄養にならないんだな。」
こんな感じで、自分の体は生きているんだな、脆いものなんだなって確認できました。
燃えているというか、生命であるという実感があります。水分があって、ブニブニしていて、まさにモノではないという感じがしています。
まとめ
びっくりするほど単純なことしか言えないんですけど、コンポストを始めたことで食べたもののゴミと向き合うことになり、自然と食べ物のことを考えるようになりました。
すると自分の体まで考えが進んで、自分の体は生きているんだという実感が湧きました。
明日になったらこの気持ちを忘れているかもしれないんですけど、こんな考えになったことが自分でも面白かったです。
-END-
コンポストに興味があったら、ぜひ▼
机をぶっ壊れ記念日
今日は机が壊れました。
部屋でパソコンをカタカタしていると、突然
「ブシュ〜ボボボボボ」という音が聞こえました。
ありえない場所からありえない音が聞こえたのでパニックになり、大きな虫か小さな鳥がいる!と勘違いしました。
その音は、机の天板の下にある油が出てくる音だったんです。
わたしは高さが変えられる机を10年くらい使っているんですが、その机は油圧式という机だったみたいです。高さの調節に油を使っている机だと今日はじめて知りました。
本当にキツイ臭いの油がどんどん机の脚から出てきて、しっかりじゅうたんに染み込みます。
いったん油が止まったあと、なぜか「ごみに出すから畳まなくちゃ!」と思って机を畳んだらまたすごい量の油が出てきました。
なぜ畳もうとした、とすぐに後悔しましたが、少し面白かったです。
まとめ
今日は机ぶっ壊れ記念日でした。
油圧式のテーブルを使ってる方は、気を引き締めていきましょう。
暗闇のドライブ
昨日少しドライブに行きました。往復で1時間くらいです。
山のある方向に行ったのですが、きつね二匹とたぬきに遭遇しました。
クマは出てこなかったのでよかったです。
いや、北海道のクマはカタカナというよりも、漢字の「熊」って感じです。
山道を暗闇の中ドライブしていると、空よりも木々が黒いことが分かりました。夜の木が真っ黒だと初めて知りました。
北海道は山の方だと熊が出るので、少し怖いです。もし車が止まったらどうしようと思い、窓を少し閉めました。
だんだん怖くなってきたので、FMラジオをつけました。
すると、後ろから物音がしました。
私は出てしまった。とうとう熊が出てきたと思いました。
大きな雄叫びと共に、車のバックミラーには走ってくる熊が、、、
という想像をしながら、無事に山道を抜けました。
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なにごともなく山道を抜けると、予備校の前に高校生がいました。イヤホンで音楽を聴きながら、お迎えを待っているようでした。夜遅くまでおつかれさまです。
帰り道、あおり運転のような動きをしている車がいました。ちょっと嫌な気分になりました。
その運転手にも好きな食べ物があって、毎朝くつ下をはいているんだなと思うと変な気持ちです。もしかしたら、くつ下は絶対にはかないタイプかもしれません。
まとめ
夜のドライブで出会った生き物を紹介しました。
いろんな生き物がいるなと思います。生きているんだなと思いました。
「わたしに無害なひと」感想
ずっと「わたしに無害なひと」の感想を書こうとは思っていました。思ってはいたものの、行動に移すまでに少し時間がかかりました。
おそらくこの小説に書かれていることの素晴らしさを伝える自信がないからだと思います。
でも、とりあえず、書いてみます。
わたしに無害なひと(となりの国のものがたり5)akishoboshop.com
今の社会のつらさ
最初に思ったのは、この小説を多くの人に読んで欲しいということです。なぜなら、今を生きている若者の心情が映し出されていると感じたからです。
今の社会には、ものすごく大きな閉塞感があり、日々自尊心を削られるような状況だということを、この本を通して理解できた気がします。(韓国のお話なので全てが一緒ではないですが、空気感は似たものがあると思います。)
頑張っても頑張っても、報われない現実があること。結構もがいたつもりなのに、なんか届かない。
なにを目指しているのか分からなくなるほど日々に疲れていること。
こういう気持ちになっている若い人は多いんじゃないでしょうか。私自身も、そういう気持ちをうまく誤魔化して、なんとなく自分のせいにして生きてきたような気がします。
今の社会で生きていることが、どれだけ大変なことなのか、初めて実感できたような気がします。
さらに言うと、社会的に強い立場にいて人の苦悩を見下している人がこれを読んでも、心の琴線になにも触れないと思います。
一人の人、人生の尊さ
この小説に出てくる人たちのことを考えると、誰の人生もどうでもいいことは一つもありませんでした。
バスに乗っているときも、歩いているときも、部屋で考え事をしているときも、すべてをひとつひとつ積み上げながら人生を生きています。
人が生きるということは、小さなめんどうなことの積み重ねだと思います。トイレに行き、まばたきをして、とても小さなひとつひとつの出来事や行動が尊いんです。
大切ではない人生は、この世に存在しないです。すべて、本当にひとりひとりが貴重な人。そういうことが心に迫ってくる小説でした。
アーチディにて
思い返してみると、最後にある「アーチディにて」が1番心に残っています。これを読んだときは、小説でこの感覚になることがあるんだ、と驚きながら泣いていました。
とにかく生きているということ、生身の人間の必死さと人と人との関わりが感じられます。
苦しいことだけではなく、人間と人間がぶつかりあった時の熱のようなものを感じます。
受けた傷と、与えられた傷
私が今まで生きてきて、受けた傷のことを思い返しました。
とても小さな傷で、自分で傷だと思っちゃいけない、と思うくらいの傷の存在があるということに気づきました。
些細な傷の存在をなかったことにして、それにフタをして生活しているなぁと。その傷に向かい合っていたほうが自分のことを分かってあげられていたと思います。
また、人に与えた傷のことも思い出していました。
まとめ
この小説を読んでいろんな気持ちになったので、まだ整理がついていない部分もあります。
向き合ってこなかったけど、確かに存在している傷のことや、人生の尊さを感じられたと思っています。
生きていく上で大切にしたい気持ちに気づかせてくれた小説です。
ぜひ読んでみて欲しいです。
CD
昔からJ-POPが好きで、よくお年玉でCDを買っていました。最初に買ってもらったのは中古の8cmCDで、サムシングエルスの「ラストチャンス」というシングルでした。
おそらく小学校1年生くらいだと思います。
基本的には親と一緒にレンタルショップに行き、CDをレンタルすることが多かったです。しかし、お年玉があるときには好きなアーティストのCDを買っていました。
大学生くらいまではCDを買う→パソコンに取り込む→ウォークマンに入れる、というのが当たり前の流れでした。
ストリーミングが始まってからも、絶対に欲しいCDは買う主義でしたが、ミニマリストの人の本を読んでからすっかり変わりました。
その本には、物を大切にすることについて書かれていました。特に好きでもない物を買って、物置きや収納にいれてもどうしようもない。大切な物や大好きなものだけを集めることが大切だということが書かれていました。
わたしは、高校生くらいまでは本当にCDそのものが好きで、歌詞カードをさわって読むことが好きでした。しかし買う理由がどんどん変わっていったことに気づいたのです。
そのアーティストを本気で応援している!風の自分になりたかったのです。
CDもあまり見ないで、歌詞もほとんど見ないで、ただ家に置いてあるだけ。愛着もありませんでした。
それに気づいてからはCDをメルカリに売りまくりました。本当に大事な思い出があるCDだけを残しました。
モノの持つ力
昨日、大好きだったYUIさんの音楽をもう一度しっかり聞いてみようと思い、CDを開けてみたんです。すると、CDをケースから出すときのプラスチックのきしむ音や、CDそのものの手触りがとても気持ちよかったんです。
そして、昔の記憶が呼び起こされました。YUIさんの曲をひとつひとつじっくり聞いて、わくわくしていた時の感情を思い出しました。
今までもYUIさんの曲を聞いたりしていましたが、モノをさわってみて、初めて立体的な記憶が呼び起こされたんです。
モノにはこういう力があるんだなと感じてびっくりしました。
これからもCDを買う予定はないんですけど、モノの持つ力を実感できたいい経験でした。