東田直樹『自閉症の僕の七転び八起き』感想
作家である東田直樹さんのエッセイを読んだので感想を書いていこうと思います。
公式HPのプロフィールには、「会話のできない重度の自閉症でありながら、パソコンおよび文字盤ポインティングにより、コミュニケーションが可能。」と書かれています。
東田直樹さんは1992年生まれ。私は東田さんと同じ歳なので、とても嬉しいです。
『自閉症の僕の七転び八起き』
私は以前から東田さんの本をちょこちょこ読んでいますが、毎回言葉の美しさに圧倒されています。
このエッセイには19歳から23歳までに書かれた文章がまとめられています。
大人になって気づいたことや、苦しみや幸せを丁寧かつ大胆に表現していると感じました。
特に印象に残ったエッセイを引用してみます。
僕が話せなかった頃
僕が話せなかった頃
筆談や文字盤ポインティングも知らず、話もできなかった頃、僕はとても孤独でした。
人とコミュニケーションできないのが、どれだけ辛く悲しいことか、経験したことのない人には、一生わからないでしょう。
ひとりでもいいのです。自分のことを、わかってくれる人がいれば、人は希望を失わずに生きていくことができます。
話せる人たちの中で、僕がどんな気持ちだったかは、苦しいという言葉以外には思い浮かびません。
僕はいつも、どうして僕だけ話せないのだろうと、ずっと悩んでいました。自分が話せるようになる夢を、何度も見ました。
話せない人の周りにいる方は、こんな意見は聞きたくないかもしれません。しかし、僕と同じような思いを抱えながら、生きている人がいることを、決して忘れないでほしいのです。
だからといって、話せない人たちは、必ずしも不幸ではありません。
辛すぎる毎日を過ごす中で、自問自答を繰り返しながら、自分の生きる意味を探し、最終的には普通に生きている人たちよりも崇高な幸福にたどり着く人も多いと思います。
人として立派な生き方とは、与えられた運命の中で、精一杯生き抜くことだと、信じています。
私はこのエッセイを読んで、涙が出そうでした。
----------
東田直樹さんは13歳のときに書いた「自閉症の僕が跳びはねる理由」という本が話題になり、28か国で翻訳されました。
私も過去にNHKのドキュメンタリー番組を見た記憶があります。
その番組では、自閉症の子どもへの寄り添い方で悩んでいる親が、東田さんの本に救われたと話していました。
行動と思っていることの違い
東田さんの本を読むと、行動と思考を結びつける難しさを感じます。
例えば、東田さんがヘルパーさんに感謝の気持ちを伝えようとするとき、こんな風になっているようです。
ヘルパーさんに「ありがとうございます」と言おうとしたのに、
「行ってらっしゃい」と言ってしまった。
挨拶を言おうとする
↓
お礼を言いたいのに頭が真っ白になる
↓
どうしたらいいのかわからなくなる
↓
下を向くとヘルパーさんの靴が目に入る
↓
玄関で見た父の靴を思い出す
↓
父に「行ってらっしゃい」と言った場面が頭に浮かぶ
↓
何か言わないといけなかったことを思い出す
↓
「行ってらっしゃい」が口から出てしまう
私はこれを読んで、こんな風に考えていたのか、と思いました。
どうしてここでこの言葉を言ったのかな、と思うことがありますが、こういった流れがあるということを知ると、全然違った捉え方になります。
私も思ったことを行動に移すことの難しさを感じたりしますが、比にならないほどの困難があると思いました。
それでもコミュニケーションに挑戦している東田さんのエッセイを読むと、私も人とコミュニケーションをとることに挑戦しようという気持ちになります。
東田さんの文章は、とても読みやすく美しいと感じます。
これからも東田さんの本をたくさん読みたいです。
おすすめの本です。